修了式
書こうか迷いましたが、書きます。
修了式でクラスの集合写真を撮ることになりました。
その時ふと、思いました。「私、クラスの人とまともに会話してない」
その感情が溢れました。
なので、集合写真に写らないことにしました。
みじめな自分を写真に残したくありませんでした。
写真で思い出すくらいなら、存在していなかったことにしたほうがいです。
そして、写真の枠内に入らないようにソーシャルディスタンスを取りました。
(記事書いてて思います。語彙力と行動がやばいです)
担任は私が「存在していないも同然」というと、無理やり取ろうとしました。
「とられるのが辛い」そんな考えではいけませんか?
結局、アングルを変えてとられました。
そのとき、担任はこう言ってました
「周りの人映ってる?まあいいや」
周りの人がうつってなくてもいいのなら私は何だったのでしょうか?
写真に入った私の姿は周りが笑顔の中、うつむいて泣いている。
なのに、アングルから狙ってとられている。
この写真は、新学年の担任が持ったクラスのクラスだよりにのるそうです。
多分ですが、私は心霊写真の幽霊として認識されるかもしれません。
長くなりました。「学校の七不思議に加わった」そんな記事を楽しみにしていてください!